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飢えと云うのがあるとして
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2023/10/04

 飢えと云うのがあるとして、それは一般的に広く認知されている事としての空腹を指すだろう。胃の中身が酷く少ない状態か、もしくは過度の栄養失調であると考えられるその異変。勿論、食に限らず飢えは存在し、その場合には形而上の、察する他ない概念的な物事の表現として扱われる。そこそこ多く存在するそれらは愛とか欲とか想いとか。偏にそれは我々が夢想し、乞い願うあって欲しいもの、あると諸々の都合が良いものが多い。
閑話休題
 まぁ話が脱線したがとどのつまりは飢え、飢えだよ。激しい空腹と言い換えてもいい。表現に多少の違いこそあれど受ける印象に差異はそれほどもないだろう。私は今飢えている、故にりんごを食べている。今咀嚼しているりんごは、一時的に私の胃を満たし飢餓を遠退けるだろうが、また遠くないうちに飢えるのは、天に吐いた唾が顔に当たるのと同じく必然だ。飢え、飢えだよ。また私は飢えてしまう。それはとても耐えられるものじゃない。辛く苦しい、苦行ですらある。その苦行から逃げ出したいが方法が思いつかない、と云うのが現状である。しゃくしゃくむしゃむしゃと。一心不乱に咀嚼している最中、はち切れんばかりに脳を行使しかの難題を解決せんとするものの、だ。一向に妙案は思いつかず、天が齎す閃きも此度ばかりは掴めそうもない。あぁ困った、必ず待ち受ける飢えに対して私は何と無力なのだ、しかしりんごが美味い。美味いがしかし飢え、飢えだよ。豚はおだてりゃ木に登るが人は霞じゃ飢えは凌げぬ。道を極め、仙人にでもなれば話は別だろうが、修める前に飢えるのでは意味がない。この飢餓を感じる度に腹を満たすのも吝かではないが、堪え難いのも紛れもない本心であり、偽ること出来ぬ万象の真理である。しゃくしゃくむしゃむしゃごっくんと。何と恐ろしいことにりんごがついに消え去った、これで不可逆の結末に私は向かうしかなくなったではないか。何故時は不可逆なのか、何故私は飢えるのか、思考の坩堝に嵌っているのは重々承知している、しかし辞められぬ。これなるは人類いやさ生物の命題であるからして、生半な覚悟では挑むことすら出来ぬ見果てぬ壁だ。世に飢えがある限り私は思考を止めることを良しとせず、熱狂的な信者が如く振る舞うのだ。

 まぁ…良しとはせんのだが、それはそれとして今は飢えていないので、また飢えた時にでも続きを考えよう。

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