思い返すと、子どもの頃から、友達の家に遊びに行くよりも、友達が自分の家に遊びに来ることが大半だった。根っからの“内弁慶”なのだろう。現実世界では居候という選択肢は考えることすらしないだろう。“案の定”というべき結末に終わった。あるいは、夢の神様が「もっと外の世界を見ても良いんじゃないか?」というメッセージ性を込めて、僕にこんな夢を見させたのだろうか。だとしたら、現実世界の僕は、思い切り、二の足を踏んでいる。現状維持バイアスだろうか。良くないね。